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カスリーン台風
石原重勝
昭和22年(1947)9月
戦後は昭和27年まではGHQの統治下で、台風に女性の名前を付けた
カスリーン(Kathleen)この日本語表記をキャサリーン、カスリン等
気象庁は二年後にカスリーン台風に統一した。
全国(主に関東地方) 死者 1,077名 行方不明 853名 負傷者 1,547名
群馬県 死者 592名 行方不明 107名 負傷者 1,231名
前橋市富士見村原之郷 白川 54名
渋川市 沼尾川 83名
大胡 72名
伊勢崎市 広瀬川 粕川 40名
桐生市 渡良瀬川 146名
板倉町 渡良瀬川 4名
399名
人災説
赤城山からの土石流が原因と言われる
赤城山の木々の伐採が
戦中は軍事物資として、戦後は復興資材として行われ、はげ山となり
保水能力を失われていたとある。
カスリーン台風 水害図
黒い部分:激甚災害地域
斜線部分:災害地域
広瀬川の右岸(西側)は町名からして西久保町・川久保町で、窪地を表している。
低い地形である。
広瀬川の左岸(東側)は伊勢崎城が過って在り、高い地形である。
伊勢崎市の死者数40名中で、現 若葉町(西園町と川久保町)で25名の犠牲者である
西園町 (西久保 大正15年 西園町 昭和42年 若葉町)
16名
川久保町 (昭和42年 若葉町)
9名
| |
災害時 町名 |
現 町名 |
|
| 1 |
西園町 |
若葉町 1区 |
16名 |
| 2 |
川久保町 |
若葉町 2区 |
9名 |
| 3 |
川岸町 |
三光町 3区 |
1名 |
| 4 |
南町三丁目 |
緑町 |
6名 |
| 5 |
福住町 |
平和町 1区 |
2名 |
| 6 |
茂呂町一丁目 |
茂呂町一丁目 |
1名 |
| 7 |
美茂呂町 |
美茂呂町 |
1名 |
| 8 |
住吉町 |
緑町 |
1名 |
| 9 |
本町四丁目 |
本町 2区 |
1名 |
| 10 |
栄町 |
曲輪町 3区 |
1名 |
| 11 |
上町 |
曲輪町 1区 |
1名 |
| 計 |
|
|
40名 |
永久橋(えいきゅうばし)
カスリーン台風以前の川幅は現在の三分の一と短く、伊勢崎城の守りの面から
古くからここだけには橋が架かっていた。
また、この地点は交通の要衝で、水運 広瀬川・利根川ルートの伊勢崎河岸が在り物流
道は前橋・伊勢崎道、高崎・伊勢崎道、本庄・伊勢崎道
新橋(しんばし)
明治16年(1883)5月30日 西久保に住む士族(石原重勝はか5名)
賃取り(有料)の新規架橋が許可される。
西久保は伊勢崎城の対岸で、永久橋を渡るのは距離的に不便であった。
栄橋(さかえばし)
大正15年(1926)3月2日 開通式
新開橋(しんかいばし)
昭和2年(1927)開通
広瀬川筋被害状況
| |
|
|
延長 |
巾員 |
|
| 1 |
新開橋 |
脚沈下 |
27.0m |
7.0m |
県道 前橋館林線 |
| 2 |
永久橋 |
落橋 |
36.4m |
7.85m |
県道 高崎伊勢崎線 |
| 3 |
栄橋 |
流失 |
29.0m |
5.0m |
市道 新町連取線 |
| 4 |
新橋 |
流失 |
32.0m |
4.0m |
市道 西町連取線 |

碑面
昭和二十二年九月十五日大水害
水難者供養塔
所在地 若葉町12-4 付近(カーナビ)
県道高崎伊勢崎自転車道線上
(サイクリングロード)
新橋 西詰
当時の西園町と川久保町の界
石碑 自然石 高さ 約160cm
(台石を含む)
建立日 昭和28年(1953)8月15日
七回忌水難者の慰霊祭が同聚院で行われ、
続いて、現地 広瀬川堤上で供養塔の開眼式
が行われた。
夜間には花園町・川久保町による
灯篭流しと花火大会が行われた。
碑裏
水難者氏名
昭和二十八年八月十五日
建設委員
市長 大沢三郎
議長
久保田円次
西園 木村鷲太郎
〃 寺内良太郎
川久保 今成義吉
〃 髙橋清一郎
町田とく 明治20年(1887)~昭和25年(1950)享年64歳
町田佳聲の義姉
地元群馬県議員 関川勝三郎・町田とく両氏は群馬県・中央への陳情で奔走した
特に町田とく女史はモンペ・わらじで現場を駆け廻り、この時と後のアイオン、キティ台風等 の為に寿命を縮めたと伝えられた
昭和10年(41935)9月25日 豪雨 川久保町では道路を舟が通る