伊勢崎銘仙アーカイブス
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 伊勢崎の近江商人






 近江(滋賀県)には2度訪れた

最初は
 高校の同級生 飯島君が滋賀大学経済学部
に入学したので夏休みに遊びに出かけた
 琵琶湖、彦根城、大学キャンパス(彦根市)
を巡った

二度目は(左の写真)
 長浜市 雪の「黒壁ガラス館」見学日は不明
当時、日本の三大まちづくり 見学場所は
  滋賀県 長浜市
  埼玉県 川越市
  長野県 小布施町





 近江商人(おうみしょうにん おうみあきんど)
   近江は琵琶湖を指し、滋賀県の旧国名
   江戸時代には多くのビジネスでの成功者を輩出した

 三方よし(さんぽうよし さんぼうよし)
   近江商人の経営理念は「売り手によし、買い手によし、世間によし」と云われる

 代表的な近江商人
   伊藤忠商事 丸紅 高島屋 日本生命保険 ワコール 西川



 伊勢崎の近江商人
   古くは、今から280年前の江戸時代に近江(滋賀県)から行商で一部は中山道を
  隊を組み定宿を利用し北関東・東北を目指した。
   その中の一部が伊勢崎を訪れ、伊勢崎市本町・三光町等の商業立地の良い場所に支店
  を構え商いを創めた(本籍は滋賀県のままで地元では公職等を務める人もいた)。
   業種は全国的にも同じであるが、行商時代から軽くて付加価値の高い薬種と醸造物で
  醤油・味噌・酒等の販売が多いい。   



   伊勢崎の近江商人をWEB検索すると伊勢崎滋賀県人会がヒットし更に近江商人の
  全国的なネット網の全国滋賀県人会連合会が存在していた。

   伊勢崎滋賀県人会 に関する詳細は不明であるが、現在の会長は(株)矢尾の矢尾隆
  とある。会長を遡ると矢尾隆の父 矢尾章二や(株)丸一高畑商店の高畑正三が務めたとある。

   *敬称略



 (株)矢尾 

    伊勢崎市上泉町144-3

   業種は食品卸売業で、製菓・製パン用食材卸
  滋賀県日野町出身の矢尾章二(大正10年生)が昭和46年(1971)の創業で
  伊勢崎の滋賀県出身経営者の中では一番新しい存在です。

   ホームページ (株) 矢尾 を閲覧すると、会社の経営理念が掲載されている
  近江商人の経営理念を承継し、時代や自社の業種に合わせた素晴らしいものだ。

  経営理念
   1,お得意先・仕入先と社員と地域から愛される商売を継続する
      *(「三方よし」である)
   2,お客様のためになる物を提供する
      *(近江商人の商売十訓にある
         「お客の欲しがる物で無く、お客のためになる物を提供する」)
   3,会社の宝は何よりも従業員である
      *(自社のオリジナルである)
   4,地域の食文化に向上を目指す
      *(自社のオリジナルである)



  近江商人の取り扱う品で醸造が有名である

     (株)丸一高畑商店は酒の卸売業で故郷 滋賀県の金亀(きんかめ)を群馬県内に
    販売した。

     杉原酒造(株)は伊勢崎市では唯一の酒造メーカーで、伯龍(はくりゅう)を醸造
    していた。 *管理人が知り合った頃は、OEM(委託醸造)でした。


 昭和57年(1982)8月
 いせさきまつり 地酒試飲会

 写真
右端 金亀 きんかめ (株)丸一高畑商店
左端 伯龍 はくりゅう 杉原酒造(株)




 (株)丸一高畑商店(まるいち たかはたしょうてん) (昔の電話四十六番)
        現在 伊勢崎市本町20-6 SOAビル



 宝暦(ほうれき)2年(西暦1752年)に
 滋賀県蒲生郡(がもうぐん)市原村
 (現 八日市市)出身の高畑与平が
 伊勢崎市本町に酒店(居酒屋)を創業

 7代目 高畑正三(大正2年~没年調査中)
 8代目 高畑文一(昭和11年~没年調査中)

 (株)丸高畑商店は現在不動産管理業





 三方よしの社会貢献として
   7代目 高畑正三伊勢崎法人会会長、伊勢崎滋賀県人会会長を歴任
    氏の旧姓は岡島で大正2年滋賀県神崎郡永源寺町(現 東近江市)生れ、
    八日市中学(現 滋賀県立八日市高校)卒業後、東京の企業に勤務し、
    伊勢崎市の高畑家に養子縁組
   8代目 高畑文一は理想の都市建設研究会



 杉原酒造(株) (すぎはらしゅぞう) (昔の電話七十番)
     現在 伊勢崎市大手町12-30


 明治26年(1893)に杉原傳七郎が
 伊勢崎町紺屋町(現 大手町)にて創業

 大正4年(1915)清酒登録
       群(馬)

 2代目 杉原和子? 傳巳氏の父親は戦死?
 3代目 杉原傳巳 (昭和15年生)






 昭和11年 群馬県料理店総合会誌より
  「酒は伯龍は山は冨士」
   銘柄伯龍醸造元 
   酒・醤油問屋 杉原商店
   群馬県伊勢崎町 電話70番

 登録商標伯龍
   杉原酒造株式会社謹醸
   群馬県伊勢崎市大手町

 3代目 杉原傳巳の頃はOEM(委託醸造)





 3代目 杉原傳巳(昭和15年生)は
 東京農大醸造学科を卒業後家業承継

 昭和43年(1968)6月
 (株)パスナサウンドを開業する

 JR伊勢崎駅周辺(曲輪町・大手町等)
 の商店を纏め商業振興を図った





 伊勢崎駅南商店会
  平成2年(1990)11月8日
  発足、初代会長

 いせさき一番街協同組合
  平成8年(1996)6月17日
  プリオパレスにて創立総会 理事長





 日野屋(ひのや) (昔の電話二十三番)
   当時の場所は、現在の伊勢崎市本町20番地SOAビル内の東寄り

  伊勢崎の歴史を調べていると、昭和21年(1946)11月に鋳金工芸家 森村酉三
 の尽力で群馬美術協会 第一回展を伊勢崎市本町の日野屋デパートで開催したとあった。

 滋賀県蒲生郡日野町(がもうぐん ひのちょう)
 出身の若村源左衛門(わかむら げんざえもん)が
 文化7年(1810)本町に日野屋薬舗(やくほ)
 を開業する 業種は売薬、砂糖、紙類、染料

 更に文政5年(1822)支店を道路(前橋・館林線)
 日野屋薬舗向かい側に日野屋商店を開業
  業種は呉服太物(絹織物を除いた綿・麻の織物)

 安政6年(1859)幕府により横浜港開港するや
 若村源左衛門は進取(しんしゅ)の気性でオランダ人
 から舶来の薬(虫下し)大量に手に入れ財を築いた

  *若村源左衛門は襲名である
                   *本宅は滋賀県日野町にあり
                   *日野町出身者は近江商人の中でも日野商人と称す



 大正10年(1921)日野屋が合名会社となる
 昭和 9年(1934)日野屋が株式会社となる
  同年 本町二丁目に日野屋デパート四階建が新築
  される

 日野屋デパート
  1階 洋品、雑貨、化粧品
  2階 呉服、食料品
  3階 紳士洋服、洋服仕立、喫茶・食堂
  屋上 綿向神社、遊園地
   *綿向神社(わたむき)日野町より分霊

 昭和37年(1962)長崎屋伊勢崎店 日野屋跡に出店






  竹村商店 十一屋 (たけむらしょうてん じゅうじや)(昔の電話五十六番)
     昔の所在地 伊勢崎市三光町13 武孫平家の東隣り




 創業者 竹村善兵衛
 創業年 安政5年(1858)
 所在地 河岸町
 業種  酒醸造
 出身地 朝日野村






  屋号の十一屋の由来が面白い(諸説あり)
   読み方 じゅういちや といちや
   近江商人にとって十一は縁起の良い数字であり、
   漢字の「一」と「十」を合わせると「上」に成る
   また、十は10割で「100%」を指し、更に1割を加え100%以上の意味



  企業名   業種    創業年 出身地  創業者
 1  (株)丸一高畑商店  酒卸  高畑正三  宝暦2年  蒲生郡  高畑与平
 2  (有)多田呉服  呉服  多田元信  大正初期  彦根市  多田甚吉
 3  (株)矢尾  食品卸  矢尾章二  昭和46年  日野町  矢尾章二
 4  (株)若村商店  食品卸  若村直嗣  文化7年  日野町  若村源左衛門
 5  辻商店  薬業        
 6  日野屋  呉服        
 7  吉永  陶器  吉永新太郎      
 8  近江屋  足袋  瀬川佐太郎      
 9    酒造  杉原伝七郎      



 参考1
  明治40年3月21日 伊勢崎郵便局で電話事務の取扱開始
  明治41年1月21日 伊勢崎郵便局で電話交換事務の取扱開始
             電話加入者 97台
  大正15年      電話加入者328台

 参考2
   会社の寿命 約25年
   一世代は  約30年

 参考資料

   「伊勢崎案内記」 復刻版 原著 明治43年 著者兼発行人 川端市郎

   「群馬文化 1962年6巻1号」 群馬県地域文化研究協議会 P1~P8
            近世のおける伊勢崎町の江州店について 井上定幸

   「全国江州系企業調査」 小倉栄一郎 HPより 昭和51年

   「市街地の民俗」 伊勢崎市 昭和61年 P25 付録2 群馬県営業便覧

   「伊勢崎市史 通史編3 近現代」 伊勢崎市 平成3年 P274~P275
            付録 年表・索引

   「伊勢崎藩」 栗原佳 現代書館 平成30年 P132~P134